7〜10世紀代の豪族居宅関係遺跡はこれまでに430例を越えている。本研究では、それらの資料を収集整理し、豪族居宅遺跡を地名表と文献目録、およびに代表例の資料集を作成した。これらの遺跡群は、占地状況から、I類;集落とは離れて独自に存在するもの、II類;集落の一角を占めるが他のいわゆる集落の単位建物群と区別できるもの、III類;集落の内部に包摂されていて他の班田農民などの建物群との区別が容易でないもの、とに大別できる。このうち、I・II類は、敷地面積が1500m^2程度から2400m^2におよび、5棟以上の掘立柱建物を主体として構成されており、主屋、副屋、中庭、厨などがL字ないし、コの字状の配置をとる居住空間と、主に穎倉・頴屋とみられる倉庫群が楮くれるないし、L字状に配される収納空間、とで構成せれている傾向がある。I類にいは、郡司クラスの居宅が多いと考えられ、II類にはI類に次ぐ階層の居宅に比定でき、富豪層の居宅もこの類型に属すると見られる。しかし、III類には、居宅としての明瞭な遺構上の特徴を見いだしがたく、他の集落構成員との格差が小さい上層農民の住居と捉えるべきものであろう。これらの各類型とも存続期間は全般に短期間であり、長期間存続する傾向のある官衙遺跡とは大きく異なっており、経営拠点の異同や宅地の財産継承の未熟成を示すものとして注目される。また、居宅には末端官衙としての機能を伴ったらしい例もあり、公出挙と私出挙の一体的な運営なども推測しうる。また、居宅に伴う倉庫数は豪族の保有する頴穀の一部を収納しうる程度であり、また、居住空間の建物数からみて戸籍に見られるような大家族構成員が集住していたかは疑問で、今後周辺や郡内の集落に分置されていた倉庫群や隷属的な構成員の住居の在り方を検討する必要がある。
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