『文選』は古代日本の学術文化に大きな影響を与えた典籍であると理解されているが、日本国内に現存する古鈔本とは量的・質的に大きな「隔たり」がある。本研究では、この「隔たり」の問題に対して、以下のような研究成果を得た。 1.現存する『文選』古鈔本の数は決して多いとはいえず、しかも冒頭部の巻々に偏在している。 2.学習・訓読の際しては、確かに『文選』注釈書の利用が認められるが、それは均一・濃厚なものではなく、むしろ以下のような否定的要素も目立つ。 (1)詳細な注釈内容を持つ『文選集注』そのものが、一部の巻を除いて加点されていない。 (2)『文選』と同じ作品を収録する『上野本漢書楊雄伝』(天暦2年(西暦948年)点)では、『文選』注釈書の影響がほとんど見られない。 (3)『五臣注文選巻第二十』(院政期点)では、訓読に対する五臣注本の影響が極めて希薄である。 3.『文選』受容の記録・記事は、『文選』の流行を直接証明するものではなく、むしろ『文選』テキストの希少価値や学習・訓読の難しさを反映していると考えるべきである。 4.上代に『文選』の訓読・加点が行われた可能性については、新資料(藤井斉成会有鄰館所蔵『春秋経伝集解巻第二』)の加点状況を踏まえ、慎重に考える必要がある。
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