上代漢字文が純漢文から変体漢文を経て、漢字仮名交じり文へと推移していく過程を再検討するため、本年度においては、主として7世紀以前の金石文や木簡の原文調査を行うことができた。これとともに複製資料などに基づき、『播磨風土記』『常陸風土記』などの本文の校訂作業を行った。これらに基づき、原文をテキストファイルにデータ化する作業を行い、『上宮聖徳法王帝説』ほかの推古朝遺文、及びそれ以前の金石文、そして『播磨国風土記』『常陸国風土記』などの奈良時代の資料が入力できた。さらに、一部については原文データに基づく漢字索引を完成させ、注釈を付ける作業も平行して行った。『上宮聖徳法王帝説』『八代記』を始め、金石文関係については、刊行予定の『上古の日本語』(課題)に向けての粗々作業を終えた。 『上宮聖徳太子法王帝説』の和歌は奈良時代中期以降の表記であることはすでに述べたことがあり、銘文も後代の竄入と見られるほか、「斯貴嶋宮治天下」「志癸嶋天皇御世」「志帰嶋天皇治天下」とある表記も推古朝のものであることを疑わせる。それは、語の表記においては、音訓公用は推古朝には見られないものであり、当時は「斯帰斯麻」のように音仮名のみで書かれるはずのものと推測される。また、訓仮名の「尾治(王)」などの表記も、あるいは時代を下る可能性もあり、『上宮聖徳法王帝説』の成立についてはまだ考えるべき点が残されているように思われる。今後更に厳密な検討を加えたいと思う。
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