• 研究課題をさがす
  • 研究者をさがす
  • KAKENの使い方
  1. 課題ページに戻る

1998 年度 実績報告書

上代漢字文の国語学的研究

研究課題

研究課題/領域番号 09610431
研究機関立教大学

研究代表者

沖森 卓也  立教大学, 文学部, 教授 (90111442)

キーワード漢字文 / 訓 / 万葉仮名 / 変体漢文
研究概要

訓仮名の成立については、川端善明が『天寿国曼茶羅繍帳銘』(六二二年)に見える「尾治王」を「小治田」と対比させて、「尾」を訓仮名の嚆矢とされた(「万葉仮名の成立と展相」『文字』)。しかし、この銘文は現存せず、『上宮聖徳法王帝説』所引の『天寿国曼茶羅繍帳銘』には「斯帰斯麻天皇」などと天皇号を用いている以上、天武朝以降の成立と見るべきであろう。そこで、訓仮名の古い例を探すと、七世紀中葉(もしくは七世紀前半)の伝飛鳥板蓋宮跡出土木簡の「矢田部」があげられる。これは部姓を習書風に書き連ねた中に見られるもので、仁徳皇后の八田皇女の名代で、ヤタのヤは〈多数〉を意味すると考えられる。従って、この「矢」は訓仮名の最古の例の一つと見てよかろう。『法隆寺金堂二天造像記』(六五〇年頃)には「山口大口費上而次木〓二人作也」とあるが、この「木」は正訓である可能性が高い。年代の確定する例で見ると、飛鳥池遺跡(奈良県明日香村)出土木簡に「丁丑年十二月三野国刀支評次米」とある「三」である。このミは美祢を表すもので、丁丑年は天武五年(六七六)にあたる。ただ、天武九年(六八〇)には人麻呂歌集非略体歌表記が初めて確認されることから、略体表記歌における「丹穂」(巻七・一二九七)などの訓仮名はさほど珍しくはなかったであろうと見られる。
現在のところ、訓仮名は七世紀中葉以前には確例が見られなしが、訓が六世紀中葉には成立していたという事情を考えれば、それを仮借するという用法も六世紀まで遡ることも十分に考えられる。

  • 研究成果

    (2件)

すべて その他

すべて 文献書誌 (2件)

  • [文献書誌] 沖森卓也: "語頭の濁音化" 立教大学日本語研究. 第5号. 61-68 (1998)

  • [文献書誌] 沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉: "藤氏家伝 鎌足・貞恵・武智麻呂伝 注釈と研究" 吉川弘文館, 約500 (1999)

URL: 

公開日: 1999-12-11   更新日: 2016-04-21  

サービス概要 検索マニュアル よくある質問 お知らせ 利用規程 科研費による研究の帰属

Powered by NII kakenhi