1997年度は、研究計画に従って、以下の項目を実施した。 (1)『時務報』の「東文報訳」の翻訳者、古城貞吉について、調査を行った。今までの定説では、古城貞吉は上海行きを拒み、日本の東京で関連記事を訳出して寄稿したと言うことであったが、古城貞吉が『時務報』の社主、汪康年宛の書簡、及び古城貞吉に言及した汪康年の友人らの汪氏にへの書簡を詳細に検討した結果、最初の一年半は、古城氏がほとんど上海で過ごし、『時務報』側の要請に積極的に応えて翻訳に従事したことが判明した。この事実は、『時務報』の「東文報訳」の記事内容の選択、翻訳語の使用などにとって考慮しなければならない重要な要素である。 (2)『時務報』の「東文報訳」を時期、記事内容、情報源(例えば東京日々新聞など)、翻訳者、字数、等を項目に分け整理し、記事の中から日本語の語彙と借用、或いは競合関係にある新語・新表現を含む文例を抽出し、データベースを構築した。データベースに収録された異なり語数は、600を超えている。 (3)データベースを利用して、19世紀における日→中の語彙交流の観点から、「東文報訳」の使用語彙について、次の2点を中心に考察してきた。a.文体、内容、時代背景などの見地から見える使用語彙の特徴、b.「植民地、帝国、艦隊、国際、関係、国会、議院、議員、共和」など、代表的な語について、その発生、伝来、普及などの観点から語誌記述を行った。
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