本研究は皮影戯と京劇を主な研究対象として、近代中国北方の都市部における芸能の流布状況について調査分析を行ったものである。 本研究のうち、北京皮影戯に関しては、まず演者、演出家、芸能研究者などへの聞き取り調査、及び脚本や劇評などの関連文献資料の分析を行った。 それらを検討することで、北京皮影戯の芸能としての位置付け、そして河北の地方都市と農村との文化交流の実態を、人類学および社会経済学的見地から明らかにした。同時にこれまでほとんど研究のなされていなかった突冀東・東北皮影戯の影巻(台本)を解題目録に整理し、小説・戯曲等と物語論的に比較検討することで物語の地域・社会階層偏差を析出した。 以上の研究によって、(1)芸能と物語の流通、(2)多様な格差が存在した都市における文化交流、(3)都市と農村との文化的交流のモデルを描出しえたことは、特筆に値しよう。 京劇部分に関しては、当初より、南京政府成立後の1930年代において、伝統演劇に対する中国社会(とりわけ北京)の認識が如何なるものであったかを明らかにすることが主要な目的であった。今回の調査では、この当時に創設された演劇学校「中華戯曲専科学校」に的を絞り、運営に関わった知識人達の言説や実際に養成された俳優達の証言等の資料を収集した。これらの資料を通して、清代末期以来の演劇を啓蒙の道具と見なす発想が一部に見られるものの、大勢においては、京劇を独立した一つの芸術と見なす傾向が徐々に支配的になってきていることが明らかになった。五四新文化運動以降、中華人民共和国成立に至るまでの伝統演劇を巡る価値観の変遷が、本研究によりさらに明確なものとなったといえるだろう。
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