バ-ラティ・ム-カジの4つの小説(1971年のThe Tiger's Daughterから93年のThe Holder of the Worldまで)を取り上げてアジア系移民を描く観点の変化を跡付けた。移民はアジョリティとマイノリティの文化的対立関係に沿って描かれる仕方から、そうした対立よりも、移民がアメリカ社会において否応なく引き受けざるをえない文化的な雑種性、境界横断的な越境性を積極的に捉え直す描き方に変わっている。これはふたつの意味で重要である。ひとつは、さまざまな領域における地球規模のボーダーレス化に対して人は思想的に何を拠点として生きていくかを示しているということ。ふたつめは、逆にアメリカ合衆国において新たにボーダーを引き直そうという社会的、政治的な動きにどう応えるべきかを示しているところである。アメリカ国内の移民問題、言語問題、教育問題をめぐる今日の論争は、従来の国民国家の枠組みへの郷愁的な復帰をめざす勢力が大衆の支持を多く得ているように見える。これに反対する陣営が効果的に反撃できないのは何故か?それに対する答を今後、97年に出された小説Leave It to Meの検討を含めて、あきらかにしていくことにする。 エスニック・マイノリティをめぐる新しい動向は日系アメリカ人作家にもはっきりと見て取れる。その意味でヨ-ジ・ヤマグチのFace of a Stranger(1995)に特に注目して検討した。それもやはり従来のアジョリティとマイノリティの対立に基づく「怨念」の文学ではなく、そうした対立も含めて笑い飛ばすような、シェイクスピア劇の祝祭性とバフチン的な多重性を備えており、いわゆる写真花嫁を題材にしながら今日のアメリカに暮らすアジア系移民の現在に響き渡るものである。 いまのところ以上が成果であるが、アメリカ社会の状況に目配りしながら、研究を持続するつもりである。
|