ブレイクとホイットマンはそれぞれイギリスとアメリカのロマン主義詩人であり、どちらもラディカルな思想をもつ詩人として言及されることが多い。彼らはともに植民地主義を否定し、その否定のうえに新たな世界のユートピア的ヴィジョンを築いた。ブレイクとホイットマンの詩作品のなかでユートピア的ヴィジョンがどのように描き出されているかを、使われる語句やレトリックに注目しながら、比較分析した。 ブレイクは「アルビオン」という全人類的な主人公を創造することによって、ヨーロッパ白人と黒人奴隷の境界線を崩し、植民地主義を否定したユートピア的な世界観を提示した。しかしいっぽうでは、「アルビオン」がイギリスであること(そして白人であること)がくり返し言及されているのである。 ホイットマンの場合も、ブレイクの「アルビオン」に相当する「わたし」という主人公が創造され、やはり民族間の境界線を崩壊させるかのごとく、あらゆる民族や国家の代表者であることが強調される。ところが、「アルビオン」がイギリス中心主義を具現させた白人であったのと同様に、「わたし」は結局アメリカの優位を確信する白人であることを暴露してしまうのである。 ブレイクとホイットマンは本格的に比較考察されることがなかった。本研究はその未開拓部分に踏み込んで、ふたりの詩人のポストコロニアル・ヴィジョンが対立するふたつのディスコースを混在させていることを明らかにすることによって、両詩人の等質性を解明した。この研究の成果の一部は、平成11年5月に開催される日本英文学会全国大会において口頭発表される。
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