本研究の最終年となる本年も、ヴィクトリア朝の外国恐怖症に関連する第一次資料の収集を継続して行なった。とくに『19世紀』、『隔週評論』、『同時代評論』、『北米評論』といったヴィクトリア朝総合雑誌からは、この研究にとって必須の学際的な資料(文学史、政治史、外交史、軍事史、社会史、医学史)を多数集めることができた。 そしてその収集した論文をデータベース化して、検索可能なかたちに変え、今後の研究が容易になるようにはかった。 そのうえで、本年はとくに『ドラキュラ』のなかにあらわれているコレラ恐怖の諸相について研究を進めた。とくに『ドラキュラ』執筆時にストーカーが参照した種々の資料を研究しながら、テクストの生成論的研究の観点から、コレラ恐怖(ストーカーの母親が体験した一八三一年のコレラ流行)とドラキュラ生成との連関性を明らかにした。 そのうえで、医学史や社会衛生史の文献を読みながら、また、エドワード・サイードのオリエンタリズムをはじめとするポスト植民地批評を参照しながら、コレラの瘴気説から細菌説への移行と、東洋起源とされるコレラへの恐怖のなかに潜むオリエンタリズムや外国恐怖症との関係を研究し、それらの問題が『ドラキュラ』のテクストのなかにどのようなかたちであらわれているかを、明らかにした。 最終的に、コレラ恐怖というものが、産業革命後発国による侵略への恐怖やユダヤ人移民への恐怖とともに、『ドラキュラ』のなかに投影されている、典型的にヴィクトリア朝的な外国恐怖症のあらわれであることを論証した。
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