ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897)の登場人物たちがドラキュラにたいして感じている「漠然とした恐怖」を、世紀末イギリスが感じていた外国恐怖症のあらわれとして、(一)侵略恐怖、(二)ユダヤ人恐怖、(三)コレラ恐怖という三つの相において、読み解いた。それぞれ具体的にいえば、 (一)経済力のみならず軍事力をも急速に高めつつあったドイツやアメリカといった産業革命後発国によるイギリス侵略の恐怖を、海峡トンネル建設計画、ヴェネズエラ国境問題をめぐる英米の対立、および「栄光ある孤立」政策をめぐる論争とからめて論じた「侵略恐怖と海峡トンネルからの挫折」 (二)東欧からのユダヤ人移民がイギリス社会へと浸透してゆくことへの反ユダヤ主義的恐怖、とくに混血による「血の汚れ」をとおしての国民退化への恐怖をあつかった「混血恐怖とホロコースト」、 (三)アジア起源の外来性の疫病であるコレラに対する恐怖を、伝染病の原因論を瘴気説から細菌説へと変容させたパストゥール革命という医学的事件との関連のなかで論じた「瘴気恐怖と細菌恐怖」 その過程で、外国恐怖症というものが、己れの内部に抑圧されていたものを外部に投影したところに生じる、サイード的な意味でのオリエンタリズム的現象であることを明らかにした。
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