我々は前年度、アメリカ史上ほぼ1世紀ごとに現れる、反文明・反体制的な文化・社会現象が、アメリカ人のユートピア願望に基づくという仮説(平成7〜8年度における我々の研究課題から導き出されたもの)の実証をはかるべく、アメリカの文学史、映画史がアメリカ人のユートピア願望をどう摂取伝播してきたかの研究を行った。これまで同国において出版、公開された文学作品、映画が、ユートピアのどのような側面をどう摂取利用しているかについての基礎資料作成を行った。平成10年度においてはさらなる新資料の発掘を進め、多層的にアメリカの文学史、映画史を総合化する作業を行った。その結果、そこに表出されるアメリカ人のユートピア願望が誠に根強いことを一種の感慨とともに再確認した。ユートピア願望なる主題は、あからさまに、あるいは巧みに変奏されて、過去から現代におよぶ様々な文学作品、大衆文化の華たるハリウッド映画、そしてブロードウェイ・ミュージカルなどの背後に絶えず見え隠れし、それらにアメリカ的性格を付与している。アメリカ社会はその成立当初から19世紀末頃までは、ヨーロッパ人にとって、かつてモアが描いたような夢物語としての「(世界の何処にもない)ユートピア」ではなく、現存し、訪れる者に成功を約束する「(世界の他の何処にもない)ユートピア」であり続け、不可能な夢をも可能にしてきたのだが、現存したユートピアの残像は今もなおアメリカ人大衆の心の中に生きており、容易には消えそうにない。本年度の研究は、「ユートピア」こそ、アメリカの文学と映画を統合的に論じる恰好の視座であるのみならず、広く「アメリカ的性格」を検討する上でも誠に適正な視座たることを証明することとなった。
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