ロバート・ペン・ウォレンのAll the King's Men研究のふたつの流れとして、作品それ自体をそれが書かれた時代の歴史的、社会的文脈から独立した自律的な芸術的創造とみて、その内的構造の分析をおこなうフォーマリズム批評と、逆にそうしたフォーマリズムが無視している歴史的事実との関連を追究する立場からの批評がある。この作品の主要人物の一人ウィリー・スタークがルイジアナ州の実在の政治家ヒューイ・ロングを基本的なモデルとしている以上、フォーマリズム的分析のみで事たれりというわけにはいかないが、かといって、スターク像とヒューイ・ロングにまつわる様々の史実との乖離を指摘するだけでも不十分である。筆者の関心は、史実がフィクションに変容する際に南部の文化的神話、その文化的ディスコースが作家の想像力にどのように作用しているかということにあった。 こうした観点から眺めたとき明らかになるのは、ウォレンのスターク像には旧南部の古い秩序にたいする民衆の側からの反逆が投影されているのではないかという可能性である。ウォレンはここで神話的な旧南部像を書き換えようとしており、そのことが一面で権力の腐敗の権化ともいえるスタークに対するウォレンの共感を生み出しているのではないかと考えられる。このことは、作品の語り手ジャック・バーデンの過去の探求による倫理的覚醒という、この作品のもう一つのテーマを、フォークナーの『アプサロム、アプサロム!』のクェンテイン・コンプソンや、『行け、モーセ』のアイク・マッキャスリンの同様の過去の探求のテーマと比較することによって、いっそう明らかにしうるはずである。 上記の内容を骨子とするウォレン論を現在執筆中であり、近々公表できるものと思う。研究実施計画にあげておいたスタイロン論については、十分な考察をおこなう時間的ゆとりがなかった。後日を期す所存である。
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