フランス語の「イデオロジー」とは、もともと「観念の形成を跡づける学」という意味で、フランス革命後にイデオローグと呼ばれた哲学者、デステュット・ド・トラシが発明したものであった。この「イデオロジー」について、平成11年度は、その歴史的周辺から始めて、後世、外国への影響まで、広い視野から対象を様々に論ずることができた。まず、『「端初」論-大正・昭和期の文学思想における歴史感覚の創造的錯誤とイデオロジー』(1999)においては、日本の文学、哲学において、イデオローグがいかなる形で言及されたか、三木清、坂田太郎、中村雄二郎などを例に初めて論じた。つまり、中村雄二郎の言う、身体性を帯びた知である「パトロギー」を、三木清の言う「パトロギー」とは一線を画するものとして重視し、もしバトスとそれぞれ対立するアパティア(無感動)・ロゴス(言語的理性)が、どこか一瞬にせよ交差する地点があるとすれば、それはストア派とイデオロギーが交差する地点であろうと論じた。そしてこの交差がまさしく18世紀末から19世紀初頭にかけ、イデオローグとその周辺において見られたということから、『テレプレゼンスの哲学史-二つの世紀末を橋渡して』(1999)においては、知られざるイデオローグ、ヴォルネーの「廃墟」論を題材に、世紀末におけるストア的な世界空間の把握というテーマを論じた。18世紀の感覚論哲学が、カバニス、コンスタンらのイデオローグにおいてストア主義に接近した理由を考察した。
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