三浦が文化的多様性の重要性に気づくようになったきっかけは、1989年のイスラム・スカーフ事件に端を発する「ライシテ論争」と、1993年秋にGATTウルグアイラウンドでフランスが自由貿易主義に対抗して主張した「文化特例」の闘いである。 カトリックの伝統が強いフランスではフランス革命以来1世紀かけて、政教分離と宗教共存の原理を「ライシテ(非宗教性)」原理として定式化した。それに挑戦状を突きつけたのがイスラム系移民の統合問題である。1990年代のフランスでは伝統的な「共和国的統合」かアングロサクソン流の「多文化主義」かで激しい論争があった。 もう一方の言語的多様性については、もともと多言語社会だったフランスは革命と19世紀後半に整備された学校教育制度と徴兵制によってフランス語による言語統一政策を推進し、そのため地域語や方言は消滅の危機にある。国内での言語同化政策はまた海外植民地にも適用され、世界にフランス語が広まった。フランコフォニーの起源にはフランス共和国の言語同化政策がある。 ライシテもフランス語による言語統一も、フランスの共和国モデルの重要な柱だが、それが冷戦後のグローバル化のなかで異議申し立てを受けている。ライシテは宗教共存の原理だが移民統合問題と密接に結びついており、多言語主義はフランスがフランス語の地位を守るため対外的には強く主張しているものの、国内では必ずしも多言語主義的政策が推進されているわけではない。 本研究では、フランコフォニーと多言語主義に焦点をあてて、フランスの共和国モデルの明暗を浮き彫りにしようとした。
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