「悪魔との契約」はヨーロッパに固有の観念である。メフィストと契約するファウストの物語はそのためヨーロッパ精神の典型をあらわすものとなった。このような観念を生み出したのは、キリスト教のなかにあるデモノロジー(悪魔学)である。西欧の人々は神の存在ばかりではなく、悪魔の存在をも信じている。悪魔は日本の鬼と似て非なるものである。日本では、敬われている祖霊は神に、敬われない祖霊は鬼になる。しかも両者は置換可能であり、鬼を敬うと、鬼は神に、神を蔑ろにすると、神は鬼になる。 キリスト教が入る前のヨーロッパには、わが国の神と鬼の関係に似た信仰が存在した。それは、古代ゲルマン信仰における美しいペルヒタと醜いペルヒタの戦いに見られる。 デモノロジーを育てたのは、スコラ哲学だった。ファウスト伝説の前身をなす「テオフィロスの物語」は12世紀に入ってから西欧社会全体に拡がっていった。 16世紀の民衆本『ファウスト』とゲーテの『ファウスト』の結末は截然と異なる。その背景にはルターとエラスムスの宗教的な論争がある。民衆本『ファウスト』はルター派の教義に、ゲーテの『ファウスト』は人文主義の「自由意志」の精神にもとづいている。 ゲーテ以降、時代が混迷の度を深めるにしたがって、悲観的な『ファウスト』物語が数多く登場した。グラッベの『ドン・ジュアンとファウスト』の背景にはナポレオン戦争が、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』の背景には、スターリニズムがある。 日本にはデモノロジーの伝統はない。そのため、わが国で生まれた『ファウスト』物語は特異な性格を有している。その典型とも言うべきものは、三島由紀夫の『禁色』と「卒塔婆小町」、また手塚治虫の『ネオ・ファウスト』である。
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