3年に亘る本研究の第1段階では大英図書館所蔵の第3060号手稿をマイクロフイルムに基づいて解読し、入力したが、解読過程で浮上してきたさまざまな問題のため、大英図書館で、紙のすかしや筆跡を詳細に調査する必要があった。この「ケンペル手稿」は先行研究で指摘されたよりもその構成が複雑で、メモ、スケッチ、訳文など莫大な量の断片的資料を総合的な日本像にまとめる作業の困難さを物語っている。文体上の手落ち、余分な繰り返しに加えて、ケンペルを手伝った甥などの協力者はケンペルの文章を清書する際、しばしば綴りを間違えてケンペルの死後の『日本誌』の編集者たちの誤解をかなり助長してしまった。挿し絵用の資料の一部のお粗末さを別にしても、この草稿はケンペルによるさらなる点検や書き直しを必要とするものだった。 それにしても、18世紀刊行の『日本誌』の英語版、ドイツ語版に見られない力強い比喩や、感情と価値判断を表す言い回しなどは、ケンペルが日本をどのように認知し、その観察をどのように表現しようとしたのか、生々しく伝えている。この手稿は異文化間理解、異文化認知の事例として非常に優れている。 本研究により得た解読文に9000以上の脚注を付け加え、さらに解説本を別冊としてまとめて、indicium社(ドイツ・ミュンヘン)で出版することになった。また、資料収集の過程で、第3060号手稿の注釈作成用にケンペルの著作目録と、17世紀から現在に至るケンペル研究の文献総目録を作成し、インターネットで公開することにした。この目録は全900点を擁し、1983年のヒュルスとホッペによる目録を遥かに凌いでいる。 ケンペルの蔵書が持つ意味は非常に大きいので、この蔵書の競売カタログを入力し、今後、適切な形で公開できるよう準備している。また、第3060号手稿との比較を容易にするために1777・79年のドーム版もインターネットに載せた。
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