'99年度の研究テーマは現代ドイツの日常生活である。このテーマについては新聞雑誌などをはじめ一次資料が過剰なくらいある一方で、全体を概観させてくれるような書物が意外に少ないので、研究は面白くもあり困難でもあった。 西ドイツの場合、'65年頃までの保守的な傾向、政治的意識が先鋭になる'68年前後、および'80年代初頭の反核平和運動などについては比較的はっきりしたイメージが得られるのだが、それ以後再統一までの間の生活感情がどのようなものであったのかがとらえにくい。というのも、'83年にコール首相のキリスト教民主同盟が社会民主党から'69年以来の政権を奪還するのだが、このことが西ドイツのメンタリティーが保守化したことのあらわれだとは言えそうもないからである。こうした問題を解決できない一因は、いわゆる左派と右派、保守と革新という概念では事態を考えられないことはわかっていても、それ以外の有効な概念をなかなか見つけられないことにもあるのではないかと思われる。 東ドイツを見ると、社会主義国家とはある意味では面倒見の良い管理国家だったのではないかと思われてくる。例えば、学校では4、5年生の頃から生徒の特性を細かく観察し、教育課程が終わる頃には、義務教育であれ大学であれ、一応は適性を考えた上での職業進路が決められている。失業はあり得ず、働くことは国民の義務であった。国家があたえる職業に満足できる人々にとっては、東ドイツは良い国だったのである。だが、職業選択のみならず、例えば環境問題などについても、一度国家の方針とそりが合わなくなった人々は徹底的に弾圧される。また、取るに足らないようなことで取り締まりの対象になった人々が、お目こぼしの代償にスパイ(非公式協力者)にさせられることも稀ではない。再統一後の現在、旧東ドイツの人々は失業や物価高に悩まされながらも、東ドイツ時代に戻りたいとは考えないようである。 再統一後のドイツでは、東ドイツの現実を証言する多くの書物が書かれている。社会主義を半世紀の間多くの人々の犠牲を払って実験したのだから、それがどういうものであったかを記録しておくことは是非必要なことである。だが、そのためにも、東ドイツをナチ時代と一緒にして二つの過去と言って見たり、あるいは、東ドイツは全く無意味だったと考えたりする。西側に時折見られる風潮は、正確な記録を作る妨げになるのではないか。
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