過去2カ年と同様の作業を今年度も継続しておこなった。すなわち、インド文学史に名を残している数多の詩人たちの出自、出身地、生涯の居住地など、社会的立場をうかがうヒントになると思われる記録を、現存文献の中から拾い出し、データ化を進めた。 そうした作業の過程で、非常に示唆的な知見が得られた。それは、インドの社会の様々な層に存在した詩人たちを、一つの共通項目で括れるような視点を与えてくれる。また、宮廷詩人なら教養ある貴族たちのサロンで好評を博するような内容のものを目指したのだろうし、巷間の詩人であれば学のない人でも耳で聞いてすぐ理解できるような、素直で、心を癒す内容のものを創作したのだろうという固定観念を打ち砕いてくれるものである。 どういうことかと言えば、stotra(ストートラ:宗教讃歌)と呼ばれる内容形式のものが、宮廷詩人による所謂マハー・カーヴィヤの一部にも、また、名も知れぬ作者の手になる諸プラーナ文献の中にも見受けられることである。神を讃えるという行為は、そもそもアーリヤンがインドに至って最初に成立した『リグ・ヴェーダ』自体がそういう性質のものだったから、インド文化の基底にあって連綿と続く精神の為せる業と言えるのかもしれない。ともかく、ストートラ形式が共通に見られると言うことは、この研究の発端となった問題点、すなわち、中世の詩人に見られた、社会的な職務の変動の可能性を大きくするものである。なぜなら、詩人として共通の素養を備えていれば、場を変えても活躍できるわけだから。 以上の点を踏まえて、今後もインドの詩人たちを社会的役割との関わりの中で捉える努力を続けていきたい。
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