インド文学史を形成してきた詩人(韻文作品が主体である古典期から中世に掛けては「詩人(kavi)」が即ち文学者を意味している)に様々な種類が存在していたことは、世界各国の専門学者がそれぞれに指摘しているように、「詩人」を含意する呼称の数の多いことから分かっていた。だが、膨大な文献群のなか、それぞれの職務がどう分担されていたのか、また、職務内容は歴史的にどう変容したのかと言った点など、全体像は判然としていなかった。 本研究では、主にサンスクリットによる原典を綿密に調査することによって、様々な詩人たちの職務、社会的動向を探り、文学が演じた文化伝承という役割の様を詳かにすることを試みた。当初は、名前が知られ、辛うじて略歴が探れるカーヴィヤ詩人たち(宮廷文学の担い手)の生涯に関する個人情報を集めることから取り掛かったが、時間を要する割りには情報が断片的にしか得られず、信憑性も薄く、判断材料とするには更なる収集が必要と思われた。時間的制約を考慮し、観点を換え、詩人たちの情勢そのものに触れる文献を読み解くことにした。非常に難解なサンスクリットで記された、12世紀頃の作と思われる叙事詩Srikanthacaritaの第25章などには、王宮で催される歌会の様子が記述されている。それらからは、懸案であった多種ある詩人の呼称に関する情報は得られなかったものの、様々な職種の知識人が一堂に会し、自分の技量の限りを尽くした歌を披露し会う機会が存在していたことを確認できた。 当初の目標までは至れなかったが、とかく階層社会の膠着性が指摘されるインドにあって、社会の中の異なるコミュニティーの間で、文学を媒体とした文化交流が行われていた事実が確認できたことは大きな成果であった。今後も更に多くの文献にあたって、詩人の呼称各種に関しても、より詳細に、かつ網羅的に、解明して行きたいと考えている。
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