1 明治期から日本に紹介された作家について、初期の状況とその後の翻訳・再話、特に児童文学分野での移入のあり方に目を向け、全体的な傾向の把握と、いくつか特定の対象を設定した変容過程の追究を行った。 2(1)単行本のみならず、また文学主体のものに限らず、実に多様な新聞・雑誌が、「児童文学」の源泉となる作品を掲載しており、しかも翻訳・翻案などの物語形式だけでなく、梗概、対訳、記事の形式もとられていたことが確認できた。即ち、文学作品が一種の情報として、さらには教養形成の一部として、訳者・再話者に意識されていたのである。 (2)児童文学での普及については、「全集」というかたちへの注目と、個別作品の翻訳・再話の流れを追うことの二点を中心に検討した。前者においては、明治期からも体系化の意識は見られるものの、翻訳児童文学が「名作」として定着し真に多数の子ども読者を獲得しえたのが第二次大戦後であること、未来の芸術性と大衆性の二項対立的把握に疑義があることが明らかになった。後者では、ときに最近の或いは他メディアでの作品化も視野に入れたスティーヴンソンやウィーダ作品の研究を通して、死や金銭などにまつわるタブーが強く働く中で再話や再創造が行われており、「子ども」観や「物語」観が世代を超えて再話者に踏襲されがちである点を発見しえた。「少年」[少女」への対読者意識が意外な近さを持つことも見えてきた。 3 男性-女性、芸術性-大衆性の軸は、今後とも、特に重要な研究の視点として、翻訳・再話を考える際に据えていきたい。さらに、ヴェルヌやディケンズの再話・再創造への応用、バーネットやトウェインの児童文学のカノンにおける意味などを考察することも、課題としていきたい。
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