19世紀の民法学の諸相を明らかにすべく、一方で、総論レベルで近代法という「歴史的形象」を明らかにすることに努め、他方で、具体的なテーマに即して、「比較と継受」の現象を辿った。 まず、前者についていうと、フランス革命期ならびに明治日本において働いていた力とその意味を考えてみた。具体的には、梅やボワソナードの法観それ自体を問いなおし、ひいては法典に現れた近代とは何か、その意義と限界を明らかにした。後者については、具体なテーマとしては、日仏両国における「給付」の概念と「既判力」の概念の歴史的生成と展開を辿り、現代における両概念のあるべき姿を探究した。後者の研究は、直接、解釈論と直結したものである。 しずれの研究においても、この分野における第一人者たる、アルペラン、レミー、ジャマン、シムレールの各教授と直接コンタクトを取るとともに、研究成果は日仏両国語で公表した。また、雑誌の特集は日仏両国での学会報告も幾つか行い、問題が問題として共有されるように心がけた。ただ、その成果については、疑問も残っている。 ただ、「歴史・比較・継受」という現象を総体としてどう位置付けるのか、それらが法にとってどのような意味をもっているのか、そうした根本問題については未だ明確な答えを見い出すには至らなかった。テーマの性質上、個人でできることには限界があるのかもしれない。法の歴史性をめぐる研究については、その手法も含めて、改めて練り直して、本格的な共同研究をする必要性を痛感した。
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