今年度は、ドイツ基本法(1949年)の制定作業における連邦制の制度化をめぐる占領国とドイツの対立・妥協のプロセスに関し、一次資料に基づいて実証的に研究を進めた。その成果を、「連邦制成立をめぐる占領国とドイツの交錯」という表題の論文として1998年1月にまとめあげた。本論文は、1998年3月31日発行の『名古屋大学法政論集』第172号に掲載される。 本研究によって新たに得られた知見は、以下の諸点である。(1)基本法制度をめぐるドイツと連合国の対抗・緊張関係のもっとも中心的争点は連邦制問題に他ならなかった。(2)ドイツは連邦・州均衡調整型の連邦制を、アメリカ主導の占領国は州優位型の連邦制を志向したが、最終的にはドイツの主張が貫かれた。(3)両者の連邦制構想の違いは、ドイツが第三帝国崩壊に伴う社会問題とりわけ難民受け入れへの対応と生活条件の統一性の確保に主たる関心があったのに対し、連合国は反ナチスの観点から集権的体制の回避に主要な狙いがあったことに由来した。(4)ドイツと連合国の交錯関係の展開において、連合国は当初アメリカ占領軍政長官クレイのもとでドイツ側の制憲作業を厳しく批判したが、1949年のワシントン外相会議をきっかけに路線を転換し、ドイツ側に妥協した。(5)こうした占領国の方針変更の背後には、冷戦開始下での西ドイツを国家として樹立し、その上でドイツを西欧国家体系に統合する意図が働いた。(6)完成した基本法は、地域(州)間調整原理と連邦・州間調整原理に基づく「半国民国家型」連邦制を制度化した。 以上の研究を踏まえ、今後は連邦制構想をめぐるドイツ内部の対立・妥協過程、つまりキリスト教民主党と社会民主党の対抗関係を解明する予定である。
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