言語、文化、宗教などを異にする多民族をかかえたインドネシアでは、いかにして住民一人一人にまで統治者の意図を徹底させ、政権の安定をはかるかということが大きな課題であった。スハルト体制は、いったいどのようにしてこの困難な作業と取り組んできたのかを分析するのがこの研究の目的であった。研究の結果、日本の戦前・戦中に住民の動員と統制の手段として活躍した「隣組」制度を参考にして作りだされた隣保制度が、非常に重要な役割を果していること判明したこれは、村落部でも都市部でも全国いっせいに、約50世帯をひとつの単位として作られたもので、インドネシア語では「ルクン・トタンガ」と呼ばれている。隣組長に、住民の移動(出生・死亡、転出・転入)を掌握させ、また定期的に会合を開催して政府からの「お知らせ」や「指導」を伝達している。 隣組と連携して、婦人会や青年会も組織され、これらも定期的に会合を開き、同じように情報伝達と「指導」の場となっている。 また、この隣組の会合においては、一見ボトム・アップの体裁を作り上げるために、さまざまな物事が住民の「話し合い」によって決定されるが、その際には、政府の意向をうけた指導者(=隣組幹部)が良しと考える方向で決定されるよう、さまざまな作為が働いている。本研究では、隣組の報告書など文献による調査の他に、隣組の会合風景をビデオに撮影してもらい、その映像分析を行った。 この種の隣保組織の他に、メディア(テレビ、ラジオ、新聞)を使っての対住民政府広報も頻繁におこなわれており、それらを材料とする分析も行った。スハルトの独裁的な長期政権をかくも長期にわたって支えてきた統治システムのひとつが、情報伝達のための特殊なメカニズムであったということが、この研究を通じいっそう明確に判明した。
|