二年間にわたり、インドネシアのある村落を例にとり、統治者からのメッセージがどのようなルートで住民に伝達されているのかを研究した。スハルト体制下では、政府が強い権限をもって住民を「指導」「統制」してゆくことを基本としており、いかにして政府の意思を住民レベルにまできめこまやかに伝達するかが重要な課題であった。この研究では、大別して二つのルートでの情報伝達を分析した。ひとつは、隣組、婦人会などの住民組織の活動や会合を通しての情報の流れである。もうひとつは、統治者側が、村落への情報伝達のために作った特定のマス・メディアと、さらにその情報の内容を正確に理解させるために考案された「クロンプンチャピル」と呼ばれる住民の討論グループである。 いずれにおいても統治者は、それらの活動が住民の自発的なものである、つまりボトム・アップ的なものであるかのような体裁をとろうとしていたが、現実にはトップ・ダウン的なものに他ならなかった。これらの試みはある程度効力を発揮し、現実には「開発」政策の結果ますます貧富の差が拡大していたにもかかわらず、32年もの間住民の不満を封じ、その力を開発へ向けて動員するうえで役割を果たしていた。しかし、1997年に姶まる深刻な経済危機の中で、ついに潜在的不満が爆発し、1998年5月、スハルト政権は崩壊した。この思いがけない急激な変化のため、本研究も途中から、新政権下でスハルト体制が作り上げた統治のメカニズムがどのように変容していくのかという点に焦点を移さざるを得なかった。しかし、これまでのところ、政権が変わってもいまなお従来のメカニズムは生きており、統治機構の根本は変わっていないように思われる。
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