(1)植木枝盛の対外論の研究のまとめ 本年度は前年度に引き続き植木枝盛の対外論の研究を続け、一応の結論に達したのでいま論文にまとめている。この論文で、植木の対外論は対ヨーロッパと対アジアとでは全く異なる対応をしていることを明らかにしたい。その理由はかれのナショナリズムにあった、と現在考えている。 (2)興亜会・亜細亜協会のアジア主義の日清戦争後の変容を明らかにしうる史料の所在判明」。 (1)は本研究から派生したものであり、(2)が本研究の主要課題である。日清戦争前についてはそのアジア主義の思想、論理を「朝野新聞」、「立憲政党新聞」などから明らかにしえたが、日清戦後のそれについては史料不足のため明らかにすることができなかった。ところが、昨(1999)年11月、徳島県立図書館所蔵の岡本葦庵(監輔)文庫のなかに上海亜細亜協会(1898-1901年の活動と推定)に関する史料があることを知り、現在これの早急な収集方法を検討している。また、中国にも上海亜細亜協会に触れた研究書(易恵莉著『鄭観応評伝』南京大学出版社、1998年)があるのを知った。これらの分析により興亜会・亜細亜協会におけるアジア主義の日清戦争後の変容を明らかにしうると考えている。ことになる。 これによって本研究課題の一部をなす体制派アジア主義の思想と行動の解明は一応完了することになる。 (3)興亜会・亜細亜協会に結集した自由民権派のアジア主義者の析出と今後の課題 興亜会・亜細亜協会の会員には一群の民権論者がいた。その代表者は自由党の末広鉄腸である。また、民権論にも一定に理解を示す中村正直主宰の『同人社文学雑誌』を分析したところ、同人社関係者には興亜会・亜細亜協会の活動の担い手(草間時福、吾妻兵治、中島雄など)の多いことが明らかになった。吾妻は日清両国の経済貿易交流をとおしての日清提携の強化促進論を主張し現実的なアジア主義を説いている。従来の自由民権研究はこれらのアジア主義者を見落としているので、これらの民権論者のアジア主義の思想と行動を明らかにする課題が浮かび上がってきた。
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