今年度の研究は第二段階、すなわち日本の朝鮮植民地における統治制度を中心に調査を始めた。主に当時の雑誌(『日本及び日本人』、『中央公論』、『教育時報』『朝鮮医学会雑誌』など)や新聞を調査し、当時の日本人が朝鮮人に対し、どのようなイメージを持っていたのかを検証した。日本人は、朝鮮に対する植民地政策を正当化するために、この朝鮮人のイメージを想像した。これは、この研究の第一段階で調べた沖縄、北海道、台湾、さらに日本列島で利用された同化政策の正当化と同様で、遠い昔、朝鮮人と日本人は同じ民族であったので、同化の過程はさほど困難ではない、と多くの日本人は論じた。 日本人は、明治維新で文明化される以前の彼ら自身の姿を、朝鮮と朝鮮人に見ていた。しかし、いつの頃からか両民族は離れ、日本民族は朝鮮民族より進歩し、朝鮮民族は退歩したと考えていた。この「朝鮮問題」に関して議論した当時の日本の知識人は、進歩した日本人は遅れた朝鮮人を救う必要があると論じ、自国の植民地政策の正当性を示そうとした。これに対する朝鮮人の反発も著名人の日記などにより、調査を行った。彼らの意見はさまざまで、上記の思想に賛成した朝鮮人もいたが、多くは日本の植民地政策に反対していた。朝鮮の問題は朝鮮民族で解決し、必要に応じて日本に援助を求めればよいという意見が多数であった。 来年度の研究は朝鮮語の新聞を資料に研究を進める予定である。まず、1910年から朝鮮語で発行された『毎日日報』から、日本政府が朝鮮人を日本人化するためにどのような手段を使い、どう進めていったのかを調査する。さらに、1920年代から許可された朝鮮語の民間新聞『東亜日報』により、日本政府の行った同化政策に対して、朝鮮人が自らのアイデンティティを作成しようとしたことを検証し、この研究を終了する予定である。
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