スコットランド啓蒙の展開の特徴を--とくにその「経済改良」の現場付近の論者の提言に焦点を当てて概観してみると、以下のように大略整理できるであろう。すなわち、18世紀前半の各産業振興をめぐる諸問題を一定の利害から考察した初期(P.リンズィなど)、18世紀半ばから1870・80年代にかけてのスコットランド全土を概観しながら諸産業発展の展望を打ち出した中期(D.ロッホなど)、そして、1890年代以降の広い意味での広範な統計的手法による調査を基にした吟味を行った後期(J.シンクレア-など)という特徴づけが、これである。 他方、経済思想および経済政策思想の面から見て本研究の観点から注目されるのは、初期の論者たちが個別の産業政策の視点を重視しつつ、その思考のなかに経済思想の「一般的諸原理」認識を培ってきたのに対し、中期の代表者の1人であるA.スミスの場合には、「文明社会」(「商業社会」)における経済発展のメカニズムを「一般的諸原理」として提示するとともに、政策思想としてはこの観点からの現実批判に重きをおいていた(その意味では彼の主張は極めて理念的と言えるし、またその適用にあたっては「経験的環境主義」(D.ウィンチ)と特徴づけられる思考でもってこれに限定を加えていた)ことである。スミスから1世代さがった後期のドュガルド・ステュアートにおいては、スミスの態度を基本的に堅持するという彼自身の「主観的」判断のもと、「一般的諸原理」とその「適用」との関係の問題に力点が大きく移動すると同時に、それに伴い、政策的論議への傾斜を強めて行き、政治学としての「経済学」を明確に打ち出した。 こうしたスコットランド啓蒙の展開の後期における諸特徴の歴史的基底には、18世紀も末に接近するにしたがって、スコットランド「国民」がその初期から熱望した「経済改良」が--その実現形態は別として--一定の成果をあげはじめ、そのもとで旧来の課題と共に新たな政策的課題を重層的に抱え込みはじめていた現実の歴史展開が貫いていたように思われる。
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