18世紀前半のスコットランドでは、1707年のイングランドとの合邦に託した意図にもかかわらず、経済開発の遅れは克服されなかった。だが、世紀半ばすぎには経済力も向上しだし、この趨勢は世紀末から一層顕著になった。これは当然、スコットランド社会に変動を引き起こした。特に人口の流動化・移動とそれに基づく都市の形成・拡大は著しかった。農業の生産性の向上は農村に過剰人口を生み出し、都市における製造業とその関連産業部門の発展に伴う雇用機会の拡大が彼らを引き寄せたからである。だが、雇用機会は必ずしも安定的ではなく、労働者の生活習慣も新しい産業・都市社会に適合的でなかった。こうして都市における貧困問題は論者の関心を引きつけた。本研究は、この時期ドゥガルド・ステュアート等に見られる経済学の政治学化、経済思想の政策思想化という知的伝統の変化を明らかにしたうえで、貧困問題に対する論者の政策思想に焦点をあてた。統計の政策提言における重要さを説くジョン・シンクレアーは、統計資料に基づき工業化・都市化の進展に伴う「小さな地域社会」の解体に貧困問題の究極の原因を求めた。だが、政策提言としては「小さな地域社会」の再建ではなく、貧民の工業・都市社会への適応を可能にする自立化であった。そのために、学校・宗教教育や友愛組合の意義が強調された。他方、マルサスの「人口の原理」を高く評価するトマス・チャーマーズは、都市において「小さな地域社会」を再建することによってこの問題に対処しようと試みた。その中心的施策は都市における新しい教会制度の導入による個人の経済的自立化であった。こうして、合邦以来、スコットランドにおいて「改良」運動のなかで追求されてきた「経済主体」形成の問題は、この時期地主の利害や福音派の運動などを背景に新たな広がりと深みを持って展開されていたことが確認される。彼らの政策思想の歴史的意義はこの点に認められる。
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