地主貴族が平民を支配する社会に、「ミドリング・ソート」(中間階層)が登場する最有力の場がロンドンであったということができる。しかしロンドンは、都市共同体であり、とりわけ中世以来クラフト・ギルドやその発展形態のリヴァリ・カンパニーなどの同職者団体が存在し、職業の身分的編成が、商工業者の同一社会層としてのまとまりを妨げていた。しかし16・17世紀のロンドンの危機と安定をめぐる研究動向を検討した結果、16世紀ロンドンの安定は都市共同体としての安定であり、それが社会的分極化の進展、郊外の拡大、王権の支配の浸透などから崩壊することを明らかになった。 次いで、16世紀から17世紀前半のロンドンのリヴァリ・カンパニーと、職業構造の変化を、貿易の動向との関連で検討した結果、16世紀前半は毛織物輸出主導のもとで、ロンドンは単一産業型の職業構造の色彩をおび、毛織物業者のカンパニーを頂点に職業の序列を完成させたこと、16世紀後半の輸出不況と輸入主導も、そうした職業序列をこわすことがなかったこと、しかし17世紀前半には、レヴァント、東インド、西インド貿易による輸入主導と人口増加・郊外拡大、分極化の進展が、職業共同体としての商業的カンパニーを崩壊させつつ、商人や富裕な製造業者の社会的同一性の形成をもたらし、ピューリタン革命の議会派を形成したのであり、彼らこそ「ミドリング・ソート」の核であることを示が示された。最後にそうした同職者共同体の崩壊は、同職者の地域的集住を崩壊させつつ、中心部に職業の壁を越えた富裕層が形成され、中心部の居住は職業よりは富によって決せられていたことが明らかになった。今後はさらに、ミドリング・ソートの文化や公共圏形成との関連が明らかにしてゆきたい。
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