I 本研究では、今年度、以下のように史料調査と史料整理を行った。 (1)佐藤嘉三郎家(上田私立博物館)と原佳子家の所蔵文書を実際に精査することによって、上塩尻村の村政一般に関する史料が豊富に残存しているのは明和期以降明治初期までであることが内容的に確認できた。 (2)原家文書については、今回原家の了解を得て、史料全体の詳細な史料目録の作成に着手した(現在進行中)。 (3)佐藤家、原家の文書群と藤本家(上田市博蔵)の文書から蚕種取引関係の文書史料を選択し、マイクロフィルムに撮影した。原家に関しては目録作成作業の途中なので、マイクロフィルム撮影は終了していない。 II 史料の分析に関しては以下の作業を行い、新しい知見を幾つか獲得できた。 (1)村内農民の系譜関係と同族関係を明らかにするため村内諸家の家系図と宗門人別帳を分析した。この作業によって、a)宗門人別帳の家数と実際の家数は異なること、b)実際の家数は天明期から天保期にかけて増大したこと、c)村内には大まかにみて14の同族(マケ)があり、d)蚕種業が盛んになる天明期以降有力な同族集団が拡大してくること、などの事実を確認できた。 (2)御注進帳をはじめとする村政文書を通じて、この村が明和期以降、次第に多くの蚕種商人を排出するようになり、寛政末に結成される信州商人仲間「神明講」の中心母体となるプロセスが具体的に明らかとなった。 (3)蚕種商人は、いくつかの有力マケ(佐藤・清水・馬場・塚田・山崎)から排出されており、蚕種の取引活動は蚕種の生産活動が前提であるという事実を発見した。これは蚕種市場の特性を解明する上で重要な事柄である。 (4)蚕種市場は、仕入れ地を奥州とし、販売地は上州・武州・相州・濃州・尾州・甲州・信州と広範囲にわたっていた。「蚕種仲間」は主に蚕種市場の取引秩序を維持するために不可欠の存在であることがわかった。 III 以上の史料調査・整理・分析の結果や情報交換は、Eメール等を利用して随時おこなった。今年度は明和期以降の上塩尻村の全体構造と蚕種市場・蚕種商人活動の把握に力点をおいた研究が中心だったが、同族集団と土地所有、農業・養蚕・蚕種取引の経営的実態、水利関係、支配・行政に関わる村落組織の実態などがまだ明らかにされていない。今後これらを明らかにすることによって研究の展開をはかりたい。
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