本研究によって得られた今年度の新たな知見は、以下の通りである。1.ドイツ側の敵性資産管理資料から判明する点として、第一次大戦前のドイツ資本輸出において、株式投資に代表されるドイツの先進国投資では、イギリスが国別で第一位を占めただけでなく、同時にイギリスは、対米投資の(より少ない規模では対西欧投資の)証券保管拠点の機能を果たしていた。2.在英ドイツ資本の具体的な存在形態は、イギリス側の敵性資産管理資料から判明しつつある。その基礎資料はイギリス政府が大戦中に設置した「敵国債務委員会」の資料であり、されにそれを補完するイギリス内閣と各省の資料、とりわけ97年夏にイギリス公文書館から追加入手したPublic Trustee(イギリス信託局)の資料である。(1)イギリスにおけるドイツ資本は、ドイツ国内における高度蓄積の進展に伴う国内の「資本不足」を補うためにイギリスからの短期借りの関係を維持しつつも、証券投資と事業進出という形での長期資本輸出の分野では、イギリス帝国を加えれば対英債務に迫る規模に達していた。このような形でドイツの対英・長期資本輸出が累積してきたのは、第一に、1890年代後半からドイツ国内取引所を通さずに在外取得された証券投資が増加していたこと、第二に、1907年のイギリス特許・デザイン法改正の後に輸出代替的に製造業の進出が活発化したことのためであったといってよい。(2)このうち、証券投資に当たるものの大部分は、ドイツ国内取引所では上場されずにイギリスで現地取得されたものであり、同時にその大部分がイギリスに現地保管されたいた。このような在英保管証券はどのようにしてロンドンで取得され、いかなる機能を果たしていたのか。その金融機構を解明するには、敵国債務委員会に召喚されたイギリスの銀行と証券取引所関係者の証言資料の検討と、ドイツ三大銀行ロンドン支店の業務分析が必要になる。
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