本研究はイギリス経済停滞を歴史的に解明しようとするものであるが、このテーマについてはこれまで夥しい数の研究が存在する。その中でも、制度論的研究、イギリスにおける反産業的文化論、植民地の存在から説明するもの、先進国としての宿命論、ジェントルマン資本主義論などが主なものであるが、ここではそれらの主張を比較検討しつつ、イギリス経済の特質を明らかにした。まず、イギリスの工業化は、国際経済との緊密な関係の中で行われた。産業革命の中心産業である綿業の原料が100%輸入に依存していたことに象徴されるように、イギリスの工業化は国際経済との関係を抜きには成り立たなかった、と言える。また国内的には、ケイン=ホプキンスが主張するように、イギリス政治経済は、産業革命を経ても、地主貴族層、のちに商業・金融利害関係者が加わった支配層によって管理されており、これがイギリス製造業の国際競争力を著しく低下させることになった。イギリス産業の衰退は、1873年の大不況を出発点として徐々に進行するが、それがハッキリと認識されるようになるのは、第1次世界大戦後からである。とくにアメリカどの経済力格差は明瞭になる。戦間期になると、労働党が政権について、議会主義による社会主義の理念を実現しようとする動きが活発となり、それが第2次世界大戦後に、福祉社会の実現と基幹産業の国有化となって花を開くことになる。福祉社会や国有化がイギリス経済にとってどのような意味を持つかは議論が分かれるところであるが、弱者救済、富の再配分、資源の有効利用という点では、一定の効果があったものの、経済全体の活性化には役立たなかった。 戦後政治経済の流れを一新したのが、サッチャー革命である。しかし、イギリス製造業の活性化には限界はあるものの、金融・商業を中心としたイギリス経済の復興には一定の貢献を果たすことになった。
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