当該研究において明らかになったのは、1990年代のグローバル化の急速な進展と振興経済圏を巻き込んだ国際金融危機の中で、国際的機関投資家と投資銀行の業務(特に資産の売買仲介)が非常に重要な意義を持つようになったということである。ただし、当該研究期間中、検討すべき新たな問題として、新興経済圏の金融危機の発生という現象が現れてきた。そこで、本研究では、このような状況変化が生じてきた背景とその構造についても分析する必要がでてきた。その結果明らかになったのは次のようなことである。 1989-91年のS&L危機の克服以後、アメリカは財政健全化の方向へ向かった。加えて、80年代における企業・金融機関のリストラの成果もあってTB利回りを初めとする金利は低下した。情報関連を中心としてアメリカ企業の国内投資は復活し、着実な景気回復軌道に乗っていた。企業収益の改善と個人消費の回復のなかで株価は上昇し、引き続き赤字であるとはいえ財政赤字は健全化に向かっていった。ただし、日欧と米国との金利差は残り、米国への資金流入は続いたので、引き続きアメリカを中心とする世界的金融仲介構造は残った。アメリカの金融機関は、高利で集めるので高利で運用せざるをえない。アメリカの金融機関に欧州・日本の金融機関が加わってドル資金が積極的に供与された。その帰結は、全世界的な過剰投資・過剰生産・製品の供給過剰であった。鉄鋼、自動車、半導体などの過剰生産は、それらの実現困難と借金返済のために高利の短期借入へのシフト→短期的収益を求めて不動産融資へ傾斜→バブルの形成を必然化させていった。こうして、いわば先進国に付き物であった金融バブルは大量の国際資本移動を通じて新興経済圏にも輸出されたのである。
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