母性遺伝するミトコンドリアDNAにみられる地域変異を各地のニホンザルで比較した。81地点由来の合計105個体について、Dループ領域の412塩基配列を解読した。この結果、43種類のタイプを区別した。変異の地理的分布には著しい局在化が認められた。しかし、例外的に東北地域は広範囲にひとつのタイプが分布し、これを除くと、平均で3地点で2タイプの地域固有変異が記録できた。また、塩基配列の比較から、東日本のタイプ間では相互の塩基置換数が西日本のタイプ間の場合にくらべて少ない傾向が認められた。日本列島に生息するニホンザルの地域個体群にこうしたミトコンドリアDNAの東西分化があることは、ニホンザルの成立や分布地域の変遷と深く関係すると考えられる。ニホンザルは母系社会をもち、移住パターンの性差が著しい。一般に、オスは成熟に達する前後で出生群から拡散するのに対して、メスは群分裂を介してしか他処へ移住しない。つまり、この遺伝子は群分裂の経過を反映することになる。母性遺伝するミトコンドリアDNAにおいて、地域個体群間の分化が西日本にくらべて東日本で低いことは、東日本における分布地域の変遷や拡大が時間的に新しく、その影響が残りやすかったと解釈できる。特に、東北地域では極端に限られたタイプしか見いだせないことから、最終氷河期以降に祖先が急激に北上したことを反映した結果と考えられる。ニホンザルはヒトを除く現生霊長類の北限に分布し、寒冷適応を遂げている。しかし、その成立過程では、温暖化の時期には分布地域を北部あるいは高地へ拡大させ、寒冷化の時期には南部あるいは低地へ変えてきたのが実態であろう。ミトコンドリアDNAにみられる地域変異には最終氷河期以後の、それも特に東日本地域での、分布域拡大の影響が残っているという仮説を検証するため、遺骨のミトコンドリアDNAについても、現在塩基配列分析を進めている。
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