研究概要 |
今年度は主に炭鉱集落の形成過程の分析を行なった。山田市に立地した炭鉱のうちから4鉱(大手2,準大手1,中小2)を選び,史資料をもとに閉山直前の集落配置を復原し,各建物の建設年代記録等を手掛かりとして集落の変遷を捉えた。 まず,集落規模はその生産規模によって大きく異なるものの,それぞれの集落が生活施設から娯楽施設までを含めた自立的な居住地のまとまりを形成していたことがわかった。 これらの集落には構成上の相違もみられる。大手2鉱はともに明治期操業だが,1つは小規模なクラスター状の住宅地の集合となっているのに対し,もう1つは大きな居住地のまとまりを整然とした配置により形成している。前者では大正期には80%の鉱員が納屋制度下に置かれており,この納屋群がベースとなって集落形成が行われ,このような構成になったことが推察される。一方,後者は昭和初期にクリアランスが行われたことがわかっており,それが整然とした配置を生んだと思われる。両者は資本規模,地域での位置づけ等に関してはかなり似通った存在だが,炭鉱住宅の改善が急速に進んだ大正から昭和にかけての住宅運営の差が,集落形態の違いとなって表れているといえる。 また,昭和初期に本格的な操業が始まった残りの2鉱では,厚生施設群を中心に職員住宅地区と鉱員住宅地区を対峙させる配置が共にとられている。そして,その配置には市街地側あるいは斜面の上方が上級の職員地区となる原則が共通に見られる。 戦中,戦後の炭鉱産業は国の統制下に置かれたが,その中で融資により炭鉱住宅の建設が進み,大手資本では飛躍的に集落規模を拡大した。戦中期にはその緊急性から未開発の平地に建設が行われ,それらが飛び地状に住宅地を形成している。一方,戦後の建設では造成によって中心地区と連続的に住宅地を形成しているといえる。
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