研究概要 |
今年度はまず,記録保存的な見地から山田市に残存する炭鉱住宅の実測調査を行なった。これにこれまでの資料データを加え,目取り,構造,設備等を分析し,特代別・企業別の炭鉱住宅の特徴を考察した。その結果,構造や材料は企業間の差が顕著で,間取りや設備には時代的な領向が強く表れていることが明らかになった。とくに,戦時下や戦後の傾斜生産期の国の融資規準がこれらを強く規定していることが分かった。 また,筑豊の炭鉱都市を分類し,さらに山田市上山田を対象に形成過程のケーススタディを行なった。 筑豊の炭鉱都市は,中核都市とそれに付随した都市とに分けることができるが,中核都市には,その核が地域の最大手炭鉱である場合と近世の商業集積を基盤とする場合とがある。近世の商業集積を基盤とする都市では近代期に種々の市街地整備が施されているが,近世基盤のない炭鉱都市では市街地整備が行なわれない傾向にあり,市街地は新流入層である商人によって炭鉱や鉄道駅を拠り所に形成されている。 山田市は,近世期には農村集落であったが,地理的に他都市と離れていたため,炭鉱の進出に伴ない小規模ながら中核都市として都市形成が行なわれた。市街地形成の主体となった商人のほとんどは外部からの流入者で,行商から居商化する際,駅を拠り所に沼地や田地の一部を地主から借りて商業地としていった。当初の農民は地主化し,大正期には公的サービスを担う層に変質して商業地域内で働くようになっている。こうして中心市街地が形成される一方で,大手炭鉱の自己完結的な炭鉱集落に対して,不完全である中小炭鉱の集落の周辺には,それを補完する商業地が形成される。その際,旧集落内の主要道に沿った宅地が切り売りされて商店化され,中心商店街と連続した上山田市街地が形成された。 最後に,3年間の研究の総括を行ない,報告書を作成した。
|