本研究は、武家の階層性と屋敷地分布の関係を中心に、江戸の都市構造を明らかにすることを目的とする。さらに、絵画史料をもとに、武家地の都市景観を視覚的に明らかにする。江戸は、武家地・町人地・寺社地が封建的身分秩序に則って配置された、計画的都市である。しかし、その内部構造を詳細に検討すると、制度的矛盾が土地の権利や利用形態にまで及んできたことが明らかになる。江戸初期には、武家が百姓地を買得するという形で、武家地の拡大がすすむ。いっぽう、中期以降には、下級武家地が実質的に売買され、町人地化する傾向がみられる。つまり、土地の所有形態に関する限り、封建的身分秩序は早くから崩壊をはじめた。 本年度は、昨年発見された『江戸天下祭圓屏風』について、詳細な分析を行った。同屏風には、日吉山王社の祭礼行列が江戸城内を通過する様相が躍動的に描かれている。景観年代は、吹上に紀州徳川家をはじめとする御三家の屋敷が描かれていること、江戸城天守が存在することなどから、明暦3年(1657)の大火前であることが分かる。さらに屋敷名の押紙の検討から、明暦2年11月5日以降、同3年1月19日までと狭い期間に絞られる。ところが、山王祭は同6月15日に行われるものであり矛盾する。さらに、建物の様式、将軍の上覧場所等の分析を重ねた結果、屏風は、明暦大火直前の大名屋敷の景観を下敷きに、18世紀以降の上覧の様相を重ね合わせたフィクションであり、発注者としては徳川吉宗の可能性を指摘した。
|