いわゆる弁柄格子などという言葉があるように、京都では民家の木部に弁柄を塗る。この塗装は京都に止まらず、近畿地方をはじめ広く用いられている。防腐が目的であると云われている。京都の島原では弁柄は壁に用いられ、例えば重要文化財のあげ屋である角屋では、表から入った玄関周辺の外壁と室内の床棚のある一階及び二階の主要な部屋部屋で、赤壁が用いられている。 加賀百万石の城下町金沢では、東の廓の志摩の二階座敷に赤壁が残っている。二階の奥の座敷の古い赤壁に対して、表二階の座敷の赤壁は近年塗り直されたものである。また、武家屋敷においても座敷に赤壁が用いられているが、金沢におけるこれらの赤壁はいずれにしても色相がYR或はRに属するものである。 出水(九州・鹿児島県)の武家屋敷においても、金沢ほど彩やかではないが、弁柄壁がみいだされた。 江戸時代の末から明治・大正にかけて、弁柄を生産し全国各地に出していたのが岡山県の吹屋である。)吹屋は、現在国の選定した重要伝統的建造物群保存地区である。こゝでは一般に木部の色付に弁柄が使われているだけで、古くからの内・外壁に赤壁を見ることは出来ない。しかし、弁柄で財をなした広兼家住宅でも現在弁柄壁はみられないが、玄関及び座敷まわりでは、現在の上塗の下に古い弁柄による赤壁が確認できた。 文献上の調査は、主として信州上田藩内の武家屋敷について集中的に行なった。上田藩の武家屋敷に関する史料の蒐集につとめた結果、藩邸の図、藩士屋敷の定法、80戸の藩士屋敷の図面などが見出だされた。これらの内、定法に赤壁の注記があるものの、その他の史料および現在も残る上田の藩士屋敷遺構からは、赤壁は発見できなかった。
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