研究概要 |
弁柄を顔料とした赤壁は、京都の祇園の遊廓だけでなく、金沢においても東山地域の旧東の廓の御茶屋の二階座敷に用いられている。金沢では、遊郭だけでなく,武家屋敷や町屋の座敷にも見られる。更に、昨年度までに、旧加賀藩領域にも赤壁が広がっていることが、高岡(現在は富山県)の町屋で確認されたので、今年度は高岡の町屋を、高岡旧城下と外港である伏木において調査している。そのほか、現地に赴く機会を捉えて、同じ北陸の小浜(若狭・福井県)の町屋と、京都にある曼殊院の大書院・小書院についても調査を行うことが出来た。 弁柄を顔料として壁に上塗りする技法は、中国北京にある紫禁城をはじめとする中国建築、あるいは韓国の宮殿にみられ、わが国においても長崎の黄檗宗寺院等は直接的な影響を受けているので、長崎の崇福寺と興福寺の塗色についても調査している。 九州においては、弁柄による赤壁が旧薩摩藩の領域である鹿児島県の出水、知覧、鹿児島の磯卸殿で確認されているので、鹿児島県に隣接し、西は有明海を挟んで長崎県に対峙する熊本県と、そのすぐ北の有明海に面する城下町柳川について探訪したが、江戸時代からの武家屋敷や町屋には赤壁を用いるという傾向は認められなかった。しかし、強烈な色調を見せる赤壁は、明治以後に上に塗り重ねて表面の色を変えている場合が多いことが金沢の東の廓の場合で明らかなので、さらに探索をつづける必要性を感じている。 また、この研究では色調のみを対象としてきているので、顔料である弁柄も視認にとどまっているところから、今後分析によって顔料を弁柄と特定する作業を行いたいと考えている。
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