現在、伝統様式の住宅において、室内の赤い壁は、全く使われることはない。現在の常識では、赤い壁は、京都の祇園にみられるように遊郭を象徴すると思われている。 一方、北陸の金沢では、赤い壁が、遊郭だけでなく、町屋の屋敷にも用いられている。それだけでなく、江戸時代のは、武家住宅の屋敷の壁も、赤壁であった。今回の研究は、赤い壁が、金沢の武家屋敷の特徴なのかを確かめることにあった。即ち、武家住宅において、金沢だけの特徴なのか、あるいはもっと広く他の地域、例えば、中部地域、にまで及んでいる特色なのかを、確かめたいということである。 平成9年度から平成11年度までの3ヶ年間の調査では、現存する赤壁は、武家屋敷では、金沢の他に、鹿児島県科の鹿児島・出水・知覧でみつかり、町屋では富山県の高岡、福井県の小浜、岡山県の倉敷・吹屋で確認された。古文書では、長野県の上田の武家屋敷に関する「定法」に記されているのが、みつかっている。 しかし、江戸時代に、赤い壁が広く使われていた金沢の旧東の廓では、明治以降、赤壁が嫌われ、赤い壁の上に違う色を上塗りした家が多い。吹屋でも、同様の現象がみられた。従って、現状から赤い壁の存在を調査することには限界があり、今後研究を進めていく上の最大の問題点となっている。
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