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1998 年度 実績報告書

慶長度女御御殿遺構の建築と障壁画による復原的研究

研究課題

研究課題/領域番号 09650705
研究機関神奈川大学

研究代表者

西 和夫  神奈川大学, 工学部, 教授 (10049687)

研究分担者 小沢 朝江  湘北短期大学, 生活科学科, 専任講師 (70212587)
キーワード京都御所 / 大覚寺宸殿 / 狩野山楽 / 東福門院 / 内裏 / 障壁画 / 芝山宣豊 / 女御御殿
研究概要

慶長度女御御殿の遺構を取り上げ、建築と障壁画の調査検討をもとにし前身建物が何であるかなどを明らかにするのが本研究の目的であるが、今年度は特に、大覚寺宸殿と正寝殿を取り上げ、その建築と障壁画を詳細に検討し、文献資料とも総合させて分析した。
その結果主に以下の諸点が明らかになった。
1. 大覚寺宸殿は従来から指摘されていた通り、前身建物は元和6年(1620)造営の女御(東福門院)御殿であることが再確認された。
2. その根拠のひとつに『芝山宣豊書状』があり、これにより寛永度仮内裏の常御殿すなわち元和6年造営女御御殿宸殿が大覚寺に移築されたことが判明する。
3. その後移築時期は、『芝山宣豊書状』により寛永19年(1642)6月18日から翌20年7月11日の間のこととなる。
4. 大覚寺宸殿の痕跡等の調査および平面寸法の詳細な分析の結果、大覚寺宸殿の1間の寸法は、1間を6尺5寸としたときの0.99倍の数値となっており、本来1間6尺5寸で設計したにもかかわらず実際は0.99倍の6尺4寸3分となったことが判明する。
5. 牡丹の間の牡丹図のうち北側の8面は狩野山楽筆とされているが、この8面は上述の1間6尺4寸3分という特殊な寸法に合致しており、大覚寺宸殿の現在の平面に合わせて描かれたと考えざるをえない。
6. 移築時期は寛永19年から20年の間であるから、筆者は山楽ではありえないことになり、筆者については再考を要する。

  • 研究成果

    (2件)

すべて その他

すべて 文献書誌 (2件)

  • [文献書誌] 西 和夫: "大覚寺宸殿の文献史料による移築の確認と移築時期の特定" 日本建築学会大会学術講演梗概集(九州). 65-66 (1998)

  • [文献書誌] 小沢朝江: "大覚寺宸殿の痕跡と平面寸法による前身建物の検討" 日本建築学会大会学術講演梗概集(九州). 67-68 (1998)

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公開日: 1999-12-11   更新日: 2016-04-21  

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