京都御所遺構の中から特に慶長度女御(女御は徳川和子・東福門院)御殿とされる建物について、建築と障壁画の詳細な調査を実施するとともに関連する文献史料を分析し、前身建物の特定を行い、その特色を抽出した。対象には円満院宸殿(大津市園城寺町)、大覚寺宸殿・正寝殿(京都市右京区嵯峨大沢町)、泉涌寺舎利殿(京都市東山区)、妙法院玄関・大書院(京都市東山区)を取り上げた。また女御御殿建物の障壁画には画題に女性人物が含まれることから、女性人物を画題とする本願寺書院(対面所・白書院、京都市下京区)について比較検討を加えた。 以上の検討の結果、 1.円満院宸殿の前身建物は慶長度女御御殿御局である。一の間と三の間の天井は同御休息のものである可能性が高い。 2.円満院宸殿は、中井家文書の造営文書によって御殿時代の部屋名や建具の本数等が判明し、平面と障壁画の復原が可能である。 3.大覚寺宸殿の前身建物は慶長度女御御殿宸殿で、改造して寛永度仮内裏常御殿に使われた。その後大覚寺への移築時期は、『芝山宣豊書状』から寛永19年6月18日から翌20年7月11日までの間に特定できる。 4.大覚寺宸殿障壁画の狩野山楽筆とされる牡丹図は、現在の特殊な柱間寸法に合致しており、3の大覚寺移築の後に描かれたものと考えられる。山楽の没年は寛永12年であり、筆者の再検討が必要である。 5.女性のための建物に共通した特色がもっとも顕著に表れるのは障壁画であり、画題には女性人物が選ばれる。 6.本願寺書院は、建物の痕跡や描き直しを窺える障壁画から創建当初の様相は現状と異なることが判明した。今後さらに詳細な調査を行い、史的背景を明らかにする予定である。 上記1〜6から、建築と障壁画の総合的検討が前身建物の特定に有効な手段であることが明確になった。障壁画は建築内部空間を特徴付けるものであり、住まう人に相応しい画題が選ばれたと考えられる。
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