予定していた調査はほぼ順調に実施できた。 炭鉱主の住宅として旧貝島六太郎邸(福岡県鞍手郡宮田町)と旧高取伊好邸(唐津市)の実測調査を行い、平面図と室内展開図を作成した。旧貝島邸は資料から建設の経緯等が分かり、大正5年4月に新築落成披露宴が行われことが明らかとなった。大正5年という年代は、現在までに確認した筑豊炭田の炭鉱主の住宅の中で明治末から大正半ばを繋ぐ位置に当たり、旧貝島邸が炭鉱主の住宅を考察する上で重要な地位を占めるものと考えている。筑豊の炭鉱主の住宅より古い旧高取邸は、建設当初の明治20年代末は平家で、明治39年に中庭の左右に2階建が設けられ、筑豊には見られない構成で完成した。旧貝島邸・旧高取邸とも建物の調査と並行して洋風家具の調査を行った。旧貝島邸については日本建築学会九州支部で口頭発表を行った。 社宅としては三井三池鉱業所(大牟田市)・三井田川鉱業所(田川市)・三井山野鉱業所(嘉穂郡稲築町)の調査を行った。三井三池では、平成9年3月の閉山に伴う社宅解体以前の状況を把握するために残存調査を行っている。その調査において、『三井鉱山五十年史稿』18巻所載の「間取図沿革」の中の昭和15年前後における「丙ノ一」・「丙」・「丙ノ三」に該当する社宅を発見した。三井田川では調査を行った社宅を第2種に該当すると推定し、産業考古学会で口頭発表を行った。三井山野では社宅等の設計図が多数残存することを確認し、現在、図面の分類や分析を行っている。 事務所としては、『筑豊石炭鑛業組合月報』62号・63号(明治42年・8月・9月)に豊國炭礦・忠隈炭坑等の事務所の平面図が掲載されていることを確認し、これらとかつて調査を実施した合資会社松浦炭坑事務所と比較し、松浦炭坑事務所の特徴を明らかにした。
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