炭鉱主の住宅として、旧貝島嘉蔵邸(福岡市)と旧蔵内次郎作邸(福岡県築上郡築城町)の実測調査を行った。 旧貝島邸は当初、直方市に建設され、大正4年5月に新築落成披露宴を行ったが、昭和2年に現在地に移築された。移築関係の書類・設計図から、2階建の西洋館を移築せず和洋折衷の洋間を新築し、仏間の位置と向きを変える等の変更はあるが直方時代の姿でほぼ忠実に移築されていることを明らかにした。尚、当家がかつて所有していた別邸(奈多・地行・平尾・友泉亭、現福岡市内)の平面図を発見し、現在分析中である。当住宅は昨年度調査を行った大正5年の旧貝島六太郎邸と共に、現存する炭鉱主の住宅の中で、明治末期から大正半ばを繋ぐ位置にあり、旧貝島邸が炭鉱主の住宅の中で重要な地位を占めると考えている。 旧蔵内邸は大正7年の棟札や小屋内の柱頂部に張られた新聞紙の日付から大正5年頃から大正9年頃まで増築を重ねて現状の形態になったことを明らかにした。そして、当初は2階建と平家建の座敷棟が鍵型に繋がる構成であったと推測した。尚、明治20年撮影という古写真からもこのことが確認され、明治20年に拠れば最古の炭鉱主の住宅となり、極めて貴重と言えよう。 旧貝島邸・旧蔵内邸の現状と建設の経緯等について日本建築学会九州支部で口頭発表を行った。 社宅では大牟田市の三井三池鉱業所の調査を行い、『三井鑛山五十年史稿』18巻所載の「間取圓沿革」の大正15年前後の「丙」、昭和15年前後の「乙」に類似するもの、また、戦後普及する「5級A型」「5級B型」「5級C型」「6級ハ型」に該当するものを確認した。現在までに40数棟の調査を行い、平面構成を主として分析を行っている。
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