平成11年度は炭鉱主の住宅3棟、三菱飯塚炭砿と三井三池炭鉱関連の職員社宅、九州大学石炭研究資料センター所蔵資料から麻生家の大正10年前後の工事日誌、三井山野炭鉱倶楽部の設計図の調査を行った。 炭鉱主の住宅では、平成7年度に調査を行った旧中島徳松飯塚別邸と麻生本家の詳細な調査を行い、旧麻生大浦家分家の調査を新たに行った。旧中島徳松飯塚別邸は過去5回の修理が行われ、I期:大正4年頃建設、II期:大正6年頃増築、III期:大正10年頃増築、IV期:昭和12頃増築建設、V期:戦後増築、VI期:現状、という複雑な過程を経て現状に至ったと指摘した。麻生家の住宅に関しては工事日誌から大正10年頃より分家や別荘の建設を行っていることが解る。本家でも分家の工事と同時進行して修理が行われ、その結果、明治43年の建設時は現状とは大いに異なっていたと推測されるが、現時点では明確でない箇所があり、更なる調査が必要と考えている。旧麻生大浦分家は大正13年には竣工し、建設の経緯が解る。延床面積747.22m^2で、本家に比べると小規模であるが、全体構成は類似する。即ち、本家を参考にしながら分家には不必要な部分を除外し、或は分家相当の規模に縮小し、本家の未整理な箇所を修正して、計画されたと考えられる。 昭和16年の三菱飯塚炭砿職員と昭和18年の三井三池炭鉱関連職員社宅は共に中廊下を通し、南側に居室3室を、北側に台所・浴室・便所を配置する類似した平面構成を採用する。それは、経営組織には拘束されない時代を反映した要素が実在していたことを示していると考えられる。 慰安娯楽施設としての倶楽部の実態はあまり把握されていない。昭和8年建設の三井山野第三坑役員倶楽部の洋間がない和室主体の構成は三井三池・三井田川と異なり、山野の特色であることを指摘した。 過去3年の調査で得られた知見を研究成果報告書にまとめた。
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