一例の内耳前庭障害後に発現する著明な平衡障害は、時間の経過とともに次第に軽減してゆく。この前庭代償と呼ばれる現象は、中枢神経系の可塑性に基づく現象である。前庭代償に関連する分子を同定する目的で、ラットの一側内耳破壊後に小脳片葉で転写の促進あるいは抑制を受ける遺伝子をdifferential display法により検索した。昨年度の本研究において、内耳破壊後に小脳片葉の脱リン酸化酵素のmRNAの発現が増加することを見い出し、その機能解析を行った。本年度の本研究では、同様に一側の内耳破壊後に小脳片葉を取り出してtotal mRNAを抽出し、differential display法により内耳破壊後に小脳片葉で両側性に発現が減少しているバンドを切り出した。切り出したバンドからcDNA断片を回収し、PCRにより増幅した。次に、増幅された反応産物をクローニングした。その結果、このcDNAはglutamate receptor δ-2 subunit(δ2)と100%ホモローグであった。小脳片葉のδ2の内耳破壊後の経時変化を、northan blotting法により検討した。δ2は内耳破壊後6時間頃より減少し、12時間後に最低値に達し、1週間以内に対照動物と同じレベルまで回復した。in situ hybridization histochemistryを行ったところ、δ2は内耳破壊動物の両側の小脳片葉のプルキンエ細胞層において発現が減少していた。δ2を欠損するミュータントマウス(東京大学、三品昌美教授より供与)の耳の右内耳破壊を行った。内耳破壊後12時間まではミュータントマウスの左向きの眼振の頻度は、ワイルドタイプのマウスと比べて、高かった。しかし、その後は両者の眼振頻度に差はなく、48時間後までに徐々に消失した。以上の結果から、内耳破壊後に小脳片葉のプルキンエ細胞において発現が減少するδ2が、前庭代償に重要な役割を担っているものと考えられた。
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