研究概要 |
イスラームの思弁神学ムアタジラ派は理性を真理の基準として正義と神の唯一性を擁護した.彼らの主張で興味深いのは,自然への神の働きかけに関する彼らの考え方である.「もの」は永遠の「本質」と「存在」とから成立するが,神はいまだ「非在」であった「もの」に「存在」を付与する.神の作用はただそれだけで,あとは神の介入なしに自然界は維持される.すなわち,物体や現象はそれ自らの内に真の原因たる本性をそなえ,したがってそれは能動的能力である.こうして彼らは神の英知の結晶を自然の中に見る.従って人間が理性的に思索しさえすれば,神から離れた自然界の法則も把握可能になる.こうして彼らは自然研究を容認する.人間が理性を働かせるものとしてその研究を推薦するのである.したがって彼らは,イスラーム以外の伝統にもそれが合理的である限り真理を見いだすことに躊躇しない.ムアタジラ派が公認された時代では自然研究が大いに推進された. それに対してアシュアリ-派は原子論を唱える.彼らは,属性もたない無特質的な原子の集合と離散とで物の形態が成立するとした.この原子論の世界では事物間は不連続になり,あらゆる事象は独立して生起する.すなわち神の意志は万物を各瞬間に創造し,したがって神が事物の直接的原因となるなのである.そうであるかぎり自然は神の意志に融合し,神はいっさいの事物からそれが持つ固有の作用力を奪ってしまう.事物固有の作用性を否定してしまう.あらゆる出来事の相互関係はまったく否定され,それら出来事は非連続に独立してアトム化して存在しているだけなのである.自然界の事象すべては神の瞬間的創造行為すなわち神の直接的介入でしか説明されないとする.そこで因果性はまったく否定されることになる.自然界の事象では,神はいつも決まったようにさせる.これを人は因果律と誤解してしまう.そこではもはや自然における法則を探求すること不要,いやむしろその法則そのものがないので不可能なのである.唯一あり得る法は神が預言者を通じてこの世に現した法だけなのである. 今日のイスラーム原理主義における科学研究は,根源的にこのアシュアリ-派の思想に負っているように思える.そこに伝統的イスラーム思想と西欧近代科学の対立が生まれることになる.
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