本研究は、アメリカ合衆国カリフォルニア州のセントラルバレーにおける日本人移民の農業活動と日系社会の特徴を、19世紀末から1920年代にかけて進展した灌漑とそれに伴う農業の集約化という枠組みの中で分析することを目的とする。第1年目である本年度は、まず、アメリカ西部における灌漑フロンティアの全体的な動向を把握するために、合衆国センサスを検討した。その結果、19世紀末において灌漑農地はアメリカ西部の広範囲な地域に存在したが、その中でカリフォルニア州が灌漑の先進地帯であり、園芸農業が発展し始めていた実態が明らかになった。次に、セントラルバレーに関して、半乾燥地域における灌漑事業の諸形態、大規模所有地の分割、移民・民族集団による植民活動、そして農業地域の形成過程を明らかにするための基礎資料の収集にあたり、若干の分析を行った。とくに、カリフォルニア州灌漑地区法(ライト法)が成立した背景やこの法律に基づいて誕生したタ-ラック灌漑地区については、概要を把握することができた。また、スタニスロース郡とマセド郡に存在したミッチェル農場が分割され人植が進展したプロセスが明らかになった。日本人移民については、すでにスタニスロース郡とマセド郡については検討済みであるので、この地域の南に位置するフレズノ郡について資料収集につとめた。次年度には、これらの資料の分析に基づいて論文を公表する予定である。こうした作業を通じて、灌漑化の進展にともなうダイナミックな地域変化のプロセスを、従来のアメリカ多数派とは異なった視点から具体的に描き出すことが可能になると私は考えている。
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