本研究は、アメリカ合衆国カリフォルニア州における日本人移民の農業活動と日系社会の特徴を、19世紀末から1920年代にかけて進展した灌漑とそれに伴う農業の集約化という枠組みの中で分析することを目的とする。第2年目である本年度は、セントラルバレーに関して、半乾燥地域における灌漑事業の諸形態、大規模所有地の分割、移民・民族集団による植民活動、そして農業地域の形成過程を明らかにするための資料の収集・分析をすすめた。セントラルバレー中部のスタニスロース郡からマセド郡にかけて存在した大農場(ミッチェル農場)が分割され、アメリカ東部や中部からスウェーデン人が再移住して植民地に入植したプロセスについては、研究成果を論文として公表することができた。アゾレス諸島出身のポルトガル人の入植過程についても、概要を把握することができた。このような初期の入植地においては、カリフォルニア州灌漑地区法に基づいて設立されたターラック灌漑地区から灌漑用水の供給を受けて、アルファルファ栽培と酪農が重要な役割を演じたことが明らかになった。また、灌漑フロンティアの人口構成については、マニュスクリプトセンサス資料の分析を進めており、今後も継続して、日本人、スウェーデン人、ポルトガル人を含めた多民族社会の構成を明らかにする作業を続ける予定である。こうした作業を通じて、灌漑化の進展にともなうダイナミックな地域変化のプロセスを、従来のアメリカ多数派とは異なった視点から具体的に描き出すことが可能になるとは私は考えている。
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