1.論文A 明治七年、文部省が編纂発行した最初期の作文教科書『書牘日用文』は、すでに先行して進められていた京都における作文教科書の独自発行を意識したものである。しかし、この文部省『書牘日用文』のきわだった特徴である、従来の男子文に多い「転倒語」と女子文に多い「無用の辞」を廃止した文体は、少なくとも明治十年代までにおいては一般化せず、むしろ、高等教育を受ける機会を得た極少数の女子の側が、男子の「転倒語」の多い文体への接近する形で、男女文の〈同一化〉が行われた性格が強い。 2.論文B 本課題研究による、京都を中心とした明治前期国語作文教育文献資料調査の過程で存在を確認できた、『書牘日用文』の数少ない副読本の一つ、細木豊吉著『文部省編纂 書牘字解』を翻刻紹介し、明治十年代における『書牘日用文』の授業実態についての資料を明らかにした。 本研究の過程において、内容面あるいは形式面の双方において、外見上、前近代の慣習を受け継ぐ『私用文』や『書牘日用文』とはあきらかに異なる、様々な作文教科書の出版されていたこともわずかながら判明してきた。これについては、従来より、欧米からの直接的な作文教育方法の導入によるものであるとの指摘があったが、なかには江戸時代のいわゆる往来物の中に、その前駆的な方法がすでに垣間見えていたものもあることが推察される。今後は、この文明開化期の作文教育の中で試みられた様々な教育法の前駆形態を、前近代の作文教科書、いわゆる往来物の中に探る形で、前近代から近代への作文教育の連続性を解明していきたいと考えている。
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